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父との別れ 後編

おかしな感覚だ。
父が亡くなってまだ3日しか経ってない。土曜日のことだった。
日曜日は仕事は公休だったため、実質まだ3日しか仕事を休んでないけども、もう2週間くらい過ぎたように感じる。
今まで、知人や親族で数多くの葬式に参列してきたが、肉親は圧倒的に別物だった。
心の底から手を合わせることができる。
ありがとうという言葉が浮かぶ。
心の距離がどうとか、そんなの一気に吹っ飛んだ。
紛れもなく、父親はこの世にただ1人の父親で、自分はこの人の一部である。


2018年に入って、義姉からの連絡も多かった。
依然として、具合は芳しくなく、そして施設では時々問題を起こしていたようだった。

まだ父に会いにいってない僕は少しうしろめたかった。父に対してではなく。兄弟に対して。
仕事は忙しかったし、休みは子供達とできるだけいてあげたかった。
インフルエンザの蔓延で、妻が仕事に全然行けなかったり、子供達がずっと家にいることが多かったし。

先日、久々に友人と会った時に、「後悔するから早く会いに行った方がいい」と言われた。
そうなんだよ、分かっているんだけど、父の状態を見るのが怖かった。
気が滅入ってしまうだけだと。
なんて残酷な息子だよ・・・。
でも、もはや父への思いは感謝に近いものに向いていた。
20代の頃は「父親がのたれ死んでもかまわない」くらいだったけど、もうとにかく安らかに逝ってもらうことだけを考えていた。
だから、周囲に感謝して穏やかに過ごしてほしかった。
そのために自分にできることは分からなかったけども。でも、思えば「何ができるか」じゃなくて「どうしたいか」だった。
後悔は先に立たないんだ。
それって本当だ。

2月に入って、父に会いに行く段取りをつけてもう一度施設の場所を確認したら、「今は認知症の治療で戸田病院というところに入院してる」と。
精神病院に近いからあまりお見舞いに行くような感じの所ではないと長男に告げられた。
予定していた日に病院の訪問はやめることにした。
ただ、せめて様子は見ておこうと思っていた。病状とかを聞こうと。

そうこうしてる間に2月を折り返していた。
2月後半は店もマイナスが他店からヘルプを呼んでまわさなければいけなかった。
そんな金曜の夜、長男から電話の着信があったことに気づき、折り返すと「また病院から連絡があり、”今日明日どうのこうの”ということではないが、悪化している」と伝えられた。要は、万が一に備えて連絡できるようにしてほしいと。
仕事中も携帯を持っていてくれと。
LINEを見ると義姉からも連絡がきてた。長男夫婦はホントに良いチームワークだ。
「火曜日に経過説明を受けることになってる」と。
そこに一緒に行くもありだなと。
こうなってくるとやはり早いうちに会いに行こうと思いが強まった。

長男次男は父親との歴史が長いし、内容が濃い。
とくに悪い内容が多くて、長男は困り、次男は怒っている。
2人には父の死は、それ以上のものがある。良い事も悲しい事も。
僕は内容が薄い。僕は僕だけの人生を歩いてきた。
兄達は自分の人生と”山田家”としての人生を歩んでいる。
僕にとっては、父の死は紛れもなく「父との別れ」だ。
”親が死ぬ”ということだ。

僕は、早く会いに行こう、なんて言ってるが、兄達は住居問題や病院や施設を探したり、市や病院から呼び出されたりしていた。
重みや感情が違う。
経過というものがない。
僕は三男坊の甘ったれだった。

連日寝不足が続いており、やっとゆっくり寝れると思っていた矢先の翌朝、再び兄からの電話で起こされた朝8:00すぎ。
病院からまた電話があり「一刻を争う」ような状態だという。
呼吸が粗いと。
病院に来れるか?ということだったから、「すぐに行く」と。
長男一家は義姉側の法事が午後からあったようで、とりあえずお互い病院で落ち合う約束だけした。

10時過ぎに到着した時に、兄達は病院を出るところだった。
次男と連絡がつかないから探しにいくのと法事があるから、とりあえず一旦病院を出ると。
手続きをして、どこにいるか教わった。
そして、「かなり危ない状態だからできるだけ家族がそばにいてほしい」と伝えられたことを聞いた。

戸田病院の4Fが認知症病棟だった。
厳重に管理されていて、病棟内に簡単には入れないようになっている。
インターホンを押してスタッフの人に誘導されると、まさにドラマや映画で見るような光景が広がっていた。
老人達が車いすで広場に集まってテレビでオリンピックを見ている。
みんな認知症などを患っている人達。
そして、病棟内の独特の匂い。

その奥のベッドで父は横たわっていた。
ずっと会わなかった父。

正直、会った時に本当に父なのか分からないくらいやせ細っていた。
髪ははげ上がっていて、両手にチューブをつながれ、口には酸素を送るマスクがはめてあった。
目を見開き、天井を眺め、呼吸するたびに顔をしかめていた。相当苦しいのだろう。
歯はなくなっていて胸はほぼ骨といった状態で、声をだすこともできなかった。

僕は、「お父さん、来たよ。英之だよ。」と言ったが、目も首も動かなかった。
手を取ってみたが、はじかれてしまった。
でも、まだ温度を感じた。
生きている、必死で生きようとしているという印象だった。
若い頃からサッカーで鍛えた体幹がある、強いはずだ。きっと強いんだ。そう思い込んだ。

でも、絶対に今日でお別れになると確信してしまった。
この状態から持ち直すなんて考えられないと。
だから、絶対に病院から離れないと誓った。
仕事は代わりを見つけてなんとしようと。
必死で探して、なんとかなった。仲間に感謝だ。

そして、しばらくして、義姉から連絡があり、次男と長男が落ち合えたと。
そして、次男が病院に向かってると。

その間も、看護士から病状を聞いたり、声をかけてあげてくださいと言われて声をかけたりした。
周りには認知症患者ばかりいるから、騒いでる人もいたりして落ち着かなかったが、とにかく感謝を伝えた。
「ありがとう」って。キャンプのこととか話した。
2回くらい、目が合って首をこっちに向けるような仕草があった。
そのときは、「分かる?」って聞いたけど返事なんかない。
でも、それだけで良かった。
僕は伝えた、お父さんのおかげで幸せに過ごせていると。
家族を持って幸せだと。

そして、お父さん、次はもっと楽しい幸せな人生にしようね、と。

次男が着いた時もまだ呼吸は粗かった。
心拍数が通常の2倍くらいで、必死に血液を全身にまわそうとしてる状態だけど、肺機能が落ちすぎて酸素を取り込めなくなってるという状態だった。
しばらく次男と会話しながら様子を見ていた。
いわゆる心拍のモニターがないから状態が分からないんだが、たまに呼吸が止まったのかと思ってしまう瞬間があって、その時僕の心臓も止まるような感覚になった。
会話もそんなにもたなくなった。
やはり目の前の父を見ているから。

ちょっと呼吸が弱まってきたと思った時、次男がトイレに立って、病室で1人になった。
不安になったが、父の手を取って「もう頑張らなくていいよ」と語りかけるくらいしかできなかった。
ナースステーションから、「心拍が弱まっているから長男さんに連絡します」とか「先生に来てもらって」みたいな会話が聞こえた。
長男に電話したり、次男にLINEしたりして、早く来るように伝えた。

ほどなくして、看護婦さんが現れて「心拍が30くらいになっています。あとは、このままゆっくり息を引き取っていくと思います」と言われた瞬間に涙があふれた。
もう最後なんだと。
「マジか」
「クソ」
って泣いてしまっていた。

父の目は片方ずつゆっくり閉じていった。呼吸もほとんどしなくなって。手はもう冷たくなっていた。
そこから、すぐだったか、どれくらいか、もう分からないけど、年を取った医者が現れて、モニターも一緒に来た。
ゆっくり一つずつ確認していく。
モニターはどこを見るのか分からないけど、はっきり「0」という数字が見えた。
でも、僕は戸惑っていて、その「0」では何も分からなかった。
遠目からいったんライトを当てた後、服をめくって心拍を聴診器で確認し、目を開いて瞳孔を確認した。
その瞳孔が”もうこの身体から命の灯火が消えた”と告げていた。
でも、綺麗な茶色と黒の瞳だった。その瞳で栄光も挫折も幸福も孤独も全て受け止めたんだよね。

医者が言葉を放つ。
「モニター、心音、瞳孔など全て確認しましたが、息を引き取られたとみていいと思います」

「12時49分 ご臨終です」

と告げ、医者と横にいた看護士が合掌した。

僕はこの時、感情がはじけるのが分かった。
そして、「ありがとうございました」という言葉だけ振り絞った。

父は死んでしまった。
皮肉だ、今まで会いに行ってなかった僕が最後を見届けるなんて。
ゆっくり死が近づいていくのを見届けた。
長男に電話した。
実は、遺族というのはここからが大変なんだ。
兄は四方八方に連絡していかなければいけない。
悲しみに暮れている時間はない。

僕は座り込み、そこに魂があるのかないのか分からない父の亡骸を見ながら呆然としていた。
義姉に連絡し、今までの感謝を伝えた。一番方々走ってくれていたから。
しばらくして、看護士さんから今後のスケジュールを確認された。
少しご一緒の時間を取って、エンゼルケアをさせていただきますと。
あとは、葬儀屋さんとの連絡はできてますか?など。
遺族は忙しいってのは本当だ。

次男はコンビニで飯なんか買って来ていたが、僕にコーヒーを買ってきてくれていた。
「さっき亡くなったよ」と告げると、「苦しそうだった?」とだけ聞いた。
「いや、ゆっくり呼吸がなくなっていくような穏やかな感じだった」と伝えると。
「そうかぁ、よかったなぁ」とだけ言った。

しばらくして、長男が到着した。
やはり同じような事を確認して少し座った。

長男はしばらくして親戚中に連絡をしていた。
とてもよく覚えているのは、その最中、ピョンチャンオリンピックで羽生結弦がオリンピック連覇をしたタイミングだったということ。
人生で最高の瞬間を迎えた若者と、人生に幕を降ろした男。
父も若い頃、こういう”その人にとっての栄光の瞬間”を何度か味わったろうな。
でも、その時、こんなどことも知れない認知症病棟で息を引き取るとは思っていなかったろうな。
でも、あなたの息子達は全員駆けつけましたよ。
それだけでも、幸せだったんじゃないかな。

母がいてくれたら。
もっと。

座って葬儀屋さんが来るまでの間、次男がボソッと「お母さんどうしてんだろね?」とつぶやいた。
母は、祖母や父、次男等との不和から失踪していた。
もう15年以上前だ。

兄弟3人で葬儀屋さんに連れられ、父と共に病院を後にした。
そこから、遺体の安置所に行き、葬儀のスケジュールを組んだ。
父の遺体に線香をあげ、手を合わせた。
2時間前までは生きていたのに。

そこで解散。
病院を出るときは今にも雨が降り出しそうだったけど、葬儀屋さんを出るときは晴れ渡っていた。
ただ、とにかく風が強くて寒い。

その日は、なんというか抜け殻のように過ごした。
夜1人になって、ふと泣いた。涙をこらえきれない。
自分が放っていた父の死に対する「覚悟はできている」という言葉はもろくも崩れ去った。
そんなの嘘っぱちだ。
僕には数年に渡るいざこざや、父のために方々の施設で謝る苦労をしていない。
川口の包括センターには謝罪と今後のことを話に行ったけども。
兄達(長男と次男の感覚は違うだろうけど)は、安心しただろう。
僕には、”父親の死”だった。
それが辛い。1人だけ辛いなんて思っていない。
みんな悲しいし、手をかけていた分、その気持ちは僕の数倍にもなるだろう。
ただ、僕は悲しかった。後悔があるし、死んでから父との思い出が蘇ってくる。
次の日も心ここにあらず。そんな感じ。ポッカリとハートに穴が開いてしまったかのよう。

そして、昨日2月19日11:00より浦和斎場にて葬儀。
参列は、長男一家、次男、僕の家族、親戚のおばさんと娘、従姉妹とその娘のあわせて13人。

棺に、父がよく着ていたジャケットや、たまに描いていた油絵、時計、大学等の卒業証書を一緒に入れた。
僕の子供達(8才と3才)も棺に花を入れてくれて、焼香もして手を合わせてくれた。
妻は、僕の父ともほとんど会った事がないし、親戚で集まる時はいつも葬式だから、大変だと思う。

ただ、僕の家族も全員で父を送ってあげることができた。それが嬉しかった。

そして、棺にふたをし、父は煙と共に空に昇っていった。
お父さん、ありがとう。
僕はまだ気持ちが整理できていないけど、幸せに暮らしていけるように頑張ります。

さっきお父さんの写真を探していたら、お父さんが僕が成人式の時にくれた”お祝いの電報”があった。
長渕の「乾杯」が流れるようになっている電報。
昭和初期の人だからな。
お祝いが古いけど、今となって本当に嬉しいし、父として愛情をくれていたんだな。
僕は愚かだ。
父が他人に思えていたなんて。
ホントに愚かだ。

父の電報にはこう書いてあった。
「成人の日おめでとう。
健康第一、本来の明るさと勇気と強き心で、社会人としての責任を果たし、大きく飛躍されんことを祈ります。
父母ともに応援しています。」

このメッセージは今の僕にも通じるものだ。
そうあるように生きて行こうと思います。

葬儀の日は晴れて、ホントに穏やかな天気だった。

小山での日々、神戸のポートピアに行ったこと、キャンプに連れていってもらったこと、そこで食べた安いカルビやシャバシャバのカレーやコンビーフ、浄水場みたいなところでのマラソンとその帰り道の車でエアコンを意地でもかけずに「汗をもっと流さないと」っていわれてへこたれそうになったこと、知人を怪我させて思いっきり怒鳴られたこと、ミスチルの歌をきいて感心していたこと、選挙の話が多かったけどしょっちゅう電話してきては「資格をとりなさい」と言われていたこと、コーヒー好きで珈琲館やプロントに一緒に行ったこと、珈琲はブラックで飲んで最後にミルクだけ飲み干すという特殊なスタイルだったこと、浦和にいる時にスナックに連れ回されたこと、子供のときマイルドセブンを買わされにいってたこと、ちゃんと僕が赤ちゃんの時に抱っこをしてくれていたこと(写真でみた)・・・

忘れません。
次は”自分達の気持ちだけで”共にしてください。

お父さん、ありがとう。
そして、さようなら。


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# by ALLWEEKENDER | 2018-02-20 16:45 | 家族の話

父との別れ 前編

2018年2月17日12:49戸田病院 認知症病棟において、僕の父が亡くなった。
1938年12月1日生まれの 享年79才
死因は肺炎 だと思う。

79才・・・世間的にみたらまだまだの年齢。
いろんな人がいるだろうけど、40才で父親を失うのは早い。

どこから書けばいいんだろう?
とりあえず、ここ数年を振り返ろう。
誰かに語りかけているような文面だが、あくまで自分用に書いている。

僕自身が親になったのは9年前。
その頃からしても、頻度としては父に会う機会は多くなかった。
なんだか、とにかく遠い存在だった。心の距離が遠いという意味で。
実の親という感覚も分からなくなるほど、実感がわかなかった。
僕は三男坊で親からは割と甘やかされて育った、と思う。
とくに父には怒られたことはほぼない。

頻度が低いから、会う度に「年取ったなぁ、おじいちゃんじゃん・・」って思ってた。
当たり前だよ、年齢的にも立場的にも「おじいちゃん」だから。
でも、痩せていってたし、小さくなっていた。弱々しくて、キレイな格好してるようではあるが、実はちょっとみすぼらしくもあった。

健康ではないな、という印象。
でも、酒も飲むし、タバコもやめてない。
長男や僕ですらやめているタバコを全然吸っていた。咳をしながら吸っている。

そんな感じで過ごしていたわけだけど、ここ2、3年くらいで認知症の気配がし始めていたようだった。
市の介護サービスを少しずつ受けていたりした。身の回りの世話が必要になってきたと。
実際、生活環境はかなりひどかった。
ボロボロの借家で、暗いし不衛生な状態だった。

ただ、とにかくプライドが高く頑固だったから、子供達やましてや他人に世話されることをとにかく嫌った。
それがやっかいだった。次男含め市ではかなり有名だったようだ。

そのボロ家で倒れているのを市の介護スタッフが発見してから、高齢者住宅などを長男一家が探し始めたりして、入ってみてはスタッフに暴言を吐いたり、暴力を振るったりしてたそうだ。良いところに行ってもそうだった。
そんなことを繰り返している間に、認知症は悪化し介護レベルがマックスまでいってしまった。

もしかしたら、会いにいっても忘れてしまってるかも言われていた。
それが、去年の話。
怖くて会いにいけなかった。
母親が姿を消したのは15年前くらいか。
僕ら家族がダメになったのは、あの学会のせいもあるが、やはり父が大きな原因だと思い、恨んでもいた。
でも、やはり親は親。
弱っていく父と会っておくべきだと思っていたのに、仕事や日頃の生活を理由に後回しにした。

去年の夏、山梨でキャンプをしているとき、長男の兄から電話があった。
「お父さんの容態が悪い、いつどうなってもおかしくないから連絡はいつでもつくようにしておいてくれ」と。

僕は、子供達とキャンプをするようになっていた。
友達一家がキャンプ好きなのをきっかけに始めた・・・ようになっているが、3才くらいから中学1年まで父親と毎夏キャンプをしていた。
キャンプ場ガイドを見て「ここに行きたい」とか話したり、父親の知るとっておきの場所に行ったりした。
今でも不思議だ。
なんであそこを発見したんだろう?
キャンプ場じゃないのに。

そう、キャンプは僕の夏休みそのものだ。
あの特別な体験を子供達に教えたいし、家族の思い出にしたかった。

その山梨の黒坂キャンプ場で、満天の星空を見ながら思った。
「キャンプに特別な思いがあるのは誰のおかげだ?お父さんのおかげじゃないか?!」と。
涙があふれたね。

でも、そこから父親の容態は少し沈静化して、持ちこたえていたようだった。
新しく入った介護施設でもだんだんおとなしく過ごすようになっていた・・・と思う。
時々、父親が暴れている、と義姉から連絡はもらっていたけども。

そして、僕は結局2017年中に父に会いにいかずに年を越した。
2018年に何があるかも知らずに。


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# by ALLWEEKENDER | 2018-02-19 02:34 | 家族の話

40年も生きてると・・・

ブログを開設してはいいけど更新しないもんだねぇ〜
更新に縛られたら、もう止めた方がいいな。

んで、格別書きたいというわけでもないけども、40年も生きてるといろいろとリセットされることがある。
今更気づくのではなく、価値観のリセット。

最近、エレカシが30周年らしく、ミヤジがテレビラジオなどなどに出まくっている。
エレカシは大好きだ。
あまり聴き込んではいないけども、歌声・メロディ・ストレートすぎる詞、ルックスどこを引っこ抜いてもかっこいい。
ミヤジは。別格だね。涙腺が緩んできてしまう、これは年ではなく若い頃から。ココロに刺さってくるんだよね。

で、そんなエレカシの動画を観ていると、どうやらNHKの番組でエレカシがカバーをしていたそう。
ユーミンやちあきなおみ、そして松田聖子。
聖子ちゃんの「sweet memories」を元andymoriの小山田壮平がカバーしていて本気で泣いた記憶がある。
で、今回のエレカシのカバーは「赤いスイートピー」だそう。
どちらも死ぬほど名曲だ。
ただ、その赤いスイートピーの音源は見つけられてない。ユーミンカバーは最高だった!

で、その流れで聖子ちゃんを聴いていたわけ。
・・・

18くらいの聖子ちゃん。
信じられないくらいかわいいのね?!
破格よ、マジで。驚いた!!!
ぶっ飛んだねw

で、歌うまいのね〜〜〜
当時まだちょっとガキ過ぎたね、僕は。
だから、聖子ちゃ〜ん!!みたいな感情はなかった。
歌が純粋に好きだっただけ。
当然、エロさを感じる事もなく。

これがね、確かにブリブリのアイドルかもしれないけど、ブリッ子なんて女子のやっかみよ。
彼女は18歳でもう完成していたね、アイドルでありアーティストよ。
そして、十分すぎるほどエロい!!

この感情、キャンディーズのスーちゃんだっけ?
田中好子が亡くなった時も同じだった。
スーちゃんは恐ろしくかわいかった!!
そして、キャンディーズは超絶かっこよかった!!

とりあえず、今更魅入ってしまった松田聖子を貼っておこう。
若さが弾ける「夏の扉」



フレッシュ!フレッシュ!!フレッシュ!!!
最高だわ。


で、懐かしの夜ヒット。
郷ひろみまで・・・w



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# by ALLWEEKENDER | 2017-04-02 01:39 | 結果的に音楽に集約される話

ある光

かつて、もう10年以上前か、このexciteブログでやっていた「ALL WEEKENDER」
全ての感情をぶつけていたブログで、久しぶりに覗いてみたら、プロフィール写真がマチュー・カソヴィッツの「憎しみ」になってたw
とんだトンガリだぜまったく・・・

そんな訳で月日は流れて、2017年。
僕はというと、すっかりバンドをしていたことを忘れ、結婚し2児のパパである。
かつてやっていたブログやmixi(当時はまだtwitterもFBも浸透してなかった)では、発信するものがたくさんあった。
バンドの宣伝や自分達のシーンを広めていく使命もあったし、なによりも価値観を発信して共鳴を得る事に躍起になっていたね。

今はFacebookをやっているけども、発信したいことはほぼ皆無だし、他人の生活の「良いとこだけの切り取り」を見せられてヘドが出そうだし、様々な情報サイトからのウンザリするような記事の羅列にほとほと参ってる状態。
ただね、有益な情報もたくさんあるから、毎日しっかりチェックはしてて。依存だな。
でも・・・会社の社長から上司まで「ともだち」だから、やはり息苦しい。

ウダウダいうなら書かなきゃいい。
でも、時々発信したいことが出てくる。
普通にうずいてくるんだよね。
でも不思議な事に読み手がいなくても気にならない。

これは一体なんだろか?とか思うけど、その深層はどうでもいい。


でね、ブログ復活だから何を書こうかと思ったけども、「復活」というキーワードがあるなら、やはり今年最大の復活劇は二つ。
一つは、この夏に25年ぶりの最新シリーズが始まる「TWIN PEAKS」!!!
これは嬉しい、しかもかなりオリジナルキャストが出るというではないか??
しかも、全編リンチが監督しているという。
旧シリーズもリンチが監督してるものは面白い!
ていうかね、イカれてるんだよねw
このシーンこんなにいる?wとか、夜がほんっとに真っ暗だったり。画にしろ音にしろ完全に異世界に連れて行ってくれる。
なんとも心地いいんだよね〜
だから、新シリーズもホント楽しみ。

追記すると、去年ドはまりした「stranger things」も新シリーズがやると聞いてテンション上がってる。


で、もう一つはタイトルで分かるだろう。
小沢健二!!!

うちの長男マヒロが最初に覚えたポップソングはオザケンの「ラブリー」だ。
ドライブの時は必ず「ラブリー」からスタートだったな。
今は星野源にその座を奪われたが。

小沢健二の思考や歌詞、もちろん音楽は今とても刺激的だし、なんだかとても励まされる。
とくにこの「ある光」

なんだかとってもヤバい。
泣きそうだ。

表現が陳腐だけども、とにかく今オザケンが素晴らしいとだけ書きたかった。

連れてって
街に棲む音 メロディー
連れてって
心の中にある光

ここだけでもぬおーってなるのに、その後の・・

この線路を降りたら赤に青に黄に
願いは放たれるのか?
今そんなことばかり考えてる
なぐさめてしまわずに

メロディーやアレンジもさることながら、この詩。
救いだな、今の僕には。




いきなり泣きべそかいてますが・・・
というわけで、ALL WEEKENDERはじまりはじまり。

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# by ALLWEEKENDER | 2017-03-09 13:45 | 結果的に音楽に集約される話

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